TNTの苦悩

TNTは3rd、4thの二作はプロダクション面でもさらに洗練された内容となったにもかかわらずレコード会社の十分なサポートが得られずライブもままならなかったという。結果としてアメリカ市場ではヨーロッパやスコーピオンズといった他の欧州出身のバンドのような大きな商業的成功を収めることは出来ず、3rdのテル・ノー・テイルズは全米100位、4thのインテュイションは全米115位と満足のいく結果とはならなかった。

また、4thではそれまで一貫したたき続けてきたディーゼル・ダールが脱退しアメリカ人のケネス・オディインがドラムを担当し来日公演も成功させるが、自身の都合からツアー後にまもなく脱退する。さらにはそれまで所属していたポリグラム・レコードとの契約も失うがその一週間後にはアトランティック・レコードとの契約を成立させ新たなアメリカ人ドラマー、ジョニー・マックを加入させる。

デトロイトロックシティの歌詞

歌詞の題材は、キッスのコンサートへ向かう途中で交通事故に逢い死亡した実在のファンに関するものであり、『地獄の軍団』収録バージョンでは全体の1曲目に配置され、オープニングには車に乗り込んでドライヴに出かける場面(カーラジオから「ロックンロール・オールナイト」が流れてくる)、エンディングでは、トラックと衝突してガソリンが漏れ出し、引火して大爆発する場面と、大がかりなサウンド・エフェクツを使用した物語が展開される。

これは意外な感じがする。

ポール・スタンレーは「ラブ・ガン/アライブIIツアー」で “I know I’m gonna die, why?” の部分を “I know I’m gonna die, and I don’t care!” に替えて歌った。

バンド名

バンド名は重要だ。

SHOW-YAは、居酒屋チェーンの庄やからとった。

その庄やの母体である大庄は、他にも『やるき茶屋』、『日本海庄や』、『榮太郎』、『ジョン万次郎』、『うたうんだ村』、『MIYABI』などのブランド名で大衆割烹チェーンを全国に展開。直営店舗、フランチャイズ店舗があり、ブランドラインを総称して「大庄グループ」と呼んでいる。M&Aも積極的に行い業務を拡大。グループ会長は創業者であり、社長の平 辰が兼任する。

「はい!よろこんで!」という受け答えで知られ、2010年12月よりスタートしたTwitter特設サイトの名称も、これをもじって「ハイ! よろこんでナウ!」としている。Twitterでは全国600人以上の店長が個々の店舗のサービス状況についてつぶやいている。企業の公式なTwitterアカウントを用いてつぶやくことができる人数は、一企業としては国内最大となっている。

第四期のLOUDNESS

1994年、MASAKI(山田)の誘いによりドラムに元E・Z・OのHIROこと本間大嗣が加入。この当時、正式メンバーのベースがおらず、高崎がギターと兼任したHEAVY METAL HIPPIES発表後、1995年にはベースに元ANTHEMの柴田直人が加入し、第4期LOUDNESSが本格的に始動する。柴田は「余計な事を考えずベースプレイにだけ集中出来たので、LOUDNESSは楽しかった」と近年語っている。

ドゥームメタル寄りのスローテンポの曲が多くなり、Rooms RECORDS移籍後に製作されたブッダ・ロックと高崎が称する3枚のアルバム『GHETTO MACHINE』(1997年)『DRAGON』(1998年)『ENGINE』(1999年、以下通称「インド3部作」)をリリース。第4期では高崎のルックスにも極端な変化があり、それまでのトレードマークであったロングヘアーから坊主頭になり、衣装もインドの民族的なものとなる。MASAKIは第三期の加入当時は本名の山田雅樹で参加したが、FLATBACKER/E・Z・O時代の隈取りメイクを再び施す事も多くなり、芸名も当時と同じMASAKIに戻した。

マイケルシェンカーのフライングV

元々、白と黒にリフィニッシュしたギブソン・フライングVを使用していたが、現在はディーン製のシグネイチャーモデルのフライングVを使用している。1980年代には、Performanceというカスタムギターメーカーの制作した、レプリカのフライングVを使用していたこともあった。

このカラー・コーディネートに至ったきっかけは、白と黒のVを交互に演奏していて、ある時「1本のVをいっそのこと白と黒に塗ってしまおう」と思いついたからとの事。

アンプは、マーシャルの50Wスタックタイプを愛用。エフェクトは、CryBaby社のワウペダル、BOSS社のコーラスとデジタルディレイをそれぞれ2台ずつ使用している。

アンセム

再結成前はリーダー兼メインソングライターである柴田とドラムの大内以外はメンバーチェンジの激しいバンドであった。 再結成後は1990年代後半に柴田と共にLOUDNESSのドラマーとして活動していた本間を加えた過去にないラインナップで10年以上メンバーチェンジもなく安定した活動を続けていたが、2004年以降、本間が膝を悪化させてからは何度か休業と復帰を繰り返していたものの、2013年4月に脱退。本間が休業中の間のサポートドラマーの中には再結成以前のドラマーであった大内も参加している事がある。 2001年の再結成以降のボーカルを担ってきた坂本英三が、2014年2月にそれぞれの音楽性を悔いなく追求するために脱退、後任者として1988年から92年の解散まで在籍していた森川之雄が再加入、同時にサポートメンバーの田丸勇が正式加入が発表された。

ラットの結成時

1976年にスティーヴン・パーシーを中心にカリフォルニア南部サンディエゴでMicky Rattとして結成。 その後ロサンゼルスへ移り、後にオジー・オズボーンに選ばれるギタリストのジェイク・E・リーが参加する。1981年バンド名をRattとして活動を続けるが、リーを含む初期のメンバーらがラフ・カットを結成するためグループを脱退。バンドはパーシーとギタリストのロビン・クロスビーを中心にメンバーを再編する。リハーサル、ライヴを重ねた末、ドラマーとしてボビー・ブロッツァー(英語版)が加わり、またパーシーとクロスビーの地元サンディエゴから当時18歳のギタリスト、ウォーレン・デ・マルティーニが参加。最後にベーシストのフォアン・クルーシェ(英語版)がドッケンを脱退してバンド加入しラットのデビュー・メンバーとなる。

海底火山

陸上にある火山と同じだが、周りに大量の海水が存在し、その高い水圧がかかるため、陸上の火山と比べると噴火規模は小さいことが多い(海底噴火(英語))。ただし比較的浅い場所で噴火した場合は、水及び水圧による抑制がきかないため、陸上火山と同規模の噴火を起こす。また、海水がマグマにふれて一瞬にして気化することによりマグマ水蒸気爆発が起きることがある(スルツェイ式噴火(英語))。

噴火活動が盛んな場合は、山頂が海面から露出して火山島を形成する場合がある。ハワイ諸島ももともとは、ホットスポット上に生まれた海底火山であった。過去に現在のハワイの緯度で活動した海底火山や火山島は太平洋プレートの移動により北西方向、つまりカムチャツカ半島の方向へ移動しつつ水没し、ハワイ海山群や天皇海山群を形成している。

スラッシュの生い立ち

11歳の頃、両親が別れ、母親とロサンゼルスに移住した。そこでスティーヴン・アドラーと出会い、一緒に音楽を始めることとなった。ビバリーヒルズ高校に進学したが15歳で中退し、ヒモやドラッグの売人で生活費を稼ぎながらバンド活動を行っていた。 ブラックシープ、ロードクルーといったバンドを経て、1985年にガンズ・アンド・ローゼズを結成し、1987年にデビューした。

チッタ

1987年(昭和62年)にシネマコンプレックス「チネチッタ」を中心に生まれ変わった「川崎映画街」に、1988年(昭和63年)、「川崎クラブチッタ」としてオープンした。同年2月24日、同ライブハウスを運営する株式会社エイチ・ティ・ティ(現在の株式会社クラブチッタ)が設立されている。

2000年(平成12年)に周辺地区の再開発に伴いクローズして移転改築に入る。旧建物での最後の公演はTHE WILLARDとDe-LAXであった。